「うるさくして、すみません」
頭上から聞こえる女性の声に、ハッとして顔を上げた。
JALの機内での出来事だ。
その日の大分行きの飛行機は、平日にもかかわらず満席。隣の小学校高学年ぐらいの外国少年のゲーム音がうるさくて、現実逃避に爆睡するしかなかった。
だいぶ時間が経って目が覚めて、私の目の前で赤ちゃんが笑っているのを発見。歯が少し生えてきている。8ヶ月ぐらいかな?
好奇心いっぱいに、こちらに笑いかけているその笑顔に救われた気分になった。
ちっともうるさいなんて思わなかったし、お母さんが降りぎわに、冒頭のように私に声をかけてきたことに、あまりに驚いて、大きく手を振りながら「とんでもありません!」と言うのが精一杯。実は、その瞬間「さかもと未明」のあの記事を思い出し、泣きそうになってしまったのだ。
そう。
普通の感覚を持ったお母さんなら、子供が機内で泣きっぱなしで平気な訳がない。離陸の瞬間なんて、最も緊張感のあるときであるだろうし、そんな時に子供が大声で泣いてしまったら、周囲への申し訳なさで、いたたまれない気持ちになるだろう。子供は予期せぬことで泣いてしまう。いくら子守りのためのおもちゃやお菓子を持っていても、いろんなアクシデントを想定して準備していったとしても、ダメなときはダメなのだ。
いろいろなニュースを見ながら、できるだけいろんな角度からものごとを判断しようと心がけてきたが、さかもと未明のあの記事だけは、全面的に反対。心底悲しくなった。
子供の泣き声を許容できるかどうかは、恐らく自分に子供がいるかどうかで分かれるのではないかと思うが(現にわたしも子供がいなかったら「気持ちはわかる」だったろう)、久しぶりに何日も、もやもやと考えさせられる一件だったと思う。
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うちの子が小さい時に読んだ本の中で、一番大好きな「ベイビーパッカーでいこう!」。
6ヶ月の赤ちゃんを連れて、ヨーロッパをまるでバックパッカーのように旅する実話なのだが(主題の是非についてはここでは置いておくとして)、その中でも非常に印象深かったのは、赤ちゃんが泣いている時に、辺りにいるみんながあやしてくれたと言うエピソード。日本では考えられない場面に、とてもうらやましく思った。(スペインだったかな?)
わたしたちが意識を変えていかなきゃね。子供は社会の宝だってね。
せめて子供が大きくなったときに、今よりは子育てしやすい世の中になっていないと!
それは社会保障が云々とか、福祉がどうとかじゃなくて、わたしたち一人一人の意識の問題なのだと。
そう言う意味で、いろいろ考えさせられたあの記事には、ちょっとだけ感謝。